みことばの花 200521「エレイネ」

みことばの花 200521「エレイネ」

「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、
イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた。」(ヨハネ 20:19 口語訳)

今朝は、新約聖書に登場する「平安」を紹介したいと思います。
新約聖書はギリシャ語で書かれていますが「平安」は「エレイネ」という言葉です。
さて、弟子たちは「ユダヤ人をおそれて」いました(自分たちの師であるキリストが十字架に架けられて殺されたゆえ)。
心が不安に満ちていたその時に、十字架にかかって死んだはずのキリストが、何と閉まっているはずのドアを越えて入り「安かれ」と語られます。
この出来事は弟子たちを驚かせたことでしょう。
しかし確かに主イエスであると確認できた時、弟子たちは喜びと平安に満たされます。
「主は生きておられる」。この感動は、キリスト教が全世界に広まる導火線になりました。
今日も生ける主の平安がありますように。
「エレイネ(平安)」の主は今もいつも私のそばにいてくださいます。

磯部豊喜

みことばの花 200520「シャローム」

みことばの花 200520「シャローム」

「彼にこう言いなさい、『どうぞあなたに平安があるように。あなたの家に平安があるように。またあなたのすべての持ち物に平安があるように。」
(サムエル上 25:6 口語訳) 

上記には「平安があるように」という言葉が連呼されています。
イスラエル初代の王サウルに追われる身になっていたダビデがその危機ゆえに、ナバルという人に贈り物を懇願し家来を差し向けた時の言葉でした。
しかし強欲なナバルはこれを冷たく断ります(妻のアビガイルはダビデを助けました)。
「平安」と訳された言葉の原語は「シャローム」。「シャローム」とは他に「平和」とか「やすらぎ」とも訳せる言葉です。
イスラエルでは、挨拶に交わされる言葉。この「シャローム!(平安があるように)」は、現在の私たちが求める言葉でもあると思います。
新型コロナは、私どもの心から「平安」奪っているような気がします。
真の平安はどこから来るのか。天地を造られた愛の神から来ます。
日々「シャローム」の心でいたいものです。
主の平安が今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200519「敵に勝利!」

みことばの花 200519「敵に勝利!」

「また、悪魔に機会を与えてはいけない。」(エペソ 4:27 口語訳) 

上記の聖句は、私の人生において思い出のみ言葉の一つです。
かつて人間関係に行き詰った時、この聖句は私を救い、平和な心に導いてくれました。
私はクリスチャンになって、まだ日の浅い頃、ある人と深い心の溝が生じた時がありました。
その日は、穏やかならぬ一日を過ごしました。私はその人に対し怒っていました。
しかしよくよく考えるとその人とのすれ違いが起きた原因は、実は私自身にあったと気づいたのです。
この時「悪魔に機会を与えてはいけない」という聖句が、私の心に強く迫ってきた。
勇気をもって相手に「謝る」ことが出来ました。その後、その人との関係が修復されたことは言うまでもありません。
この時、「心を揺さぶる敵に勝利した!」、という平和な思いに満たされたのでした。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200518「ピンチはチャンス」

みことばの花 200518「ピンチはチャンス」

「それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。」(ルカ 21:13 口語訳)

「機会」という言葉は、善をなす時にも悪をなす時にも使用される言葉です。
マタイ26:16には「その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた」とありますが、
ユダは彼を愛してやまなかった主イエスを裏切る「機会をねらっていた」ことを記録しています。
しかし上記のルカ21:13は違います。キリストを信じる者たちが迫害を受ける際に、それが「あかしをする機会となる」と語っているのです。
迫害はキリスト者のピンチの時。しかしこれが逆に「あかしとする機会となる」と言う。
私どもの人生に訪れる危機(ピンチ)が「神の栄光をあかしする」機会(チャンス)になる。
そう考えると私の人生を包むピンチも決して悪くはないと思います。
確かに「ピンチはチャンス」なのです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200517「万事についての教え」

みことばの花 200517「万事についての教え」

「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、
また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。
(使徒 20:35口語訳 )

孤独にならない秘訣。それは誰かを愛することです。寂しい時は、誰かに愛されたいと思ってよい。
しかしそこから誰かを愛する方向へ舵を切ることが出来ればもっと素晴らしい。
上記の御言葉には「受けるよりは与える方が、さいわいである」との主の教えの説明に加え、「万事について教え示した」という解説があります。
主の教えは、必ずしも物を与えることを言っているのではない。むしろ心を与えることを言うのでしょう。
人の益になること、人のために生きること。この選択をする限り人は決して孤独にはならない。
イエス・キリストは時折一人ボッチになったが、決して孤独ではなかった。彼には愛を注ぐ人がたくさんあったからです。
今日も主に愛されていることを受け止め、今日会う人に愛を注いで行きたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 200516「何によって、何のために」

みことばの花 200516「何によって、何のために」

「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。(イザヤ 43:7 口語訳)

「人は何によって生きるか」。これは今日私がライブ配信で語る予定の説教題。
人生とは、行く先を後で考える見切り発車のようなものだと知ったのは今から45年前のことです。
自分で選んだのでもないのに、当初はわたしの知り得ぬ夫婦の下に生まれてこの世のメンバーに加えられていた。
成長するにつれ、「人は何のために生きるのか」は私の絶えざる質問となった。
創造主なる神を知るまで、私の生きる意味、目的は分からなかった。
しかし今は上記の中にある「わが栄光のために」が、私の心の鞘にしっかりと収まっているのです。

磯部豊喜
・・・・・・・
本日5月16日(土)のライブ配信URLです。 どうぞ開いてみてください。
※時間外でもSDA千葉教会ホームページで開くことも出来ます。
安息日学校(聖書の学び) 10:00 聖書をいかに解釈するか ⑦「言語、聖句、文脈」磯部豊喜
https://youtu.be/eyw7cLedHIE
礼拝説教URL  11:00 「人は何によって生きるか」 磯部豊喜
https://youtu.be/-rWyWOUAnOo

みことばの花 200515「コロナ」

みことばの花 200515「コロナ」

「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。」(ヨハネ 12:31 口語訳)

「しばらくは 離れて暮らす コとロとナ つぎ逢ふ時は 君といふ字に」。
タナカサダユキさんという人が自身のフェイスブックに書き、ネット上で話題になっているという短歌です。
病院の待合室で新型コロナウイルスに関連する貼り紙を眺めているうちに、ハッと気づいた。
「コ」「ロ」「ナ」は組み合わせると「君」が出来上がると…(朝日新聞5.11より)。
私は上記の聖句を思い出しました。
「この世の君(=コロナは悪魔の作品)は追い出される」。そしてこれに変わり「天の大君」なるイエス・キリストが、座を占める。
そう、少なくとも私の心の座には「この世の君(=悪魔)」ではなく、「イエスと呼ばれる君」を迎えたい。
「コロナ」の意味は「王冠」。
悪の王冠か、善の王冠かを選ぶのは、私の心であろうと思うのです。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200514「悩みの時②」

みことばの花 200514「悩みの時②」

「しかし、悩みの時、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、彼を求めたので彼に会った。」(歴代志下 15:4 口語訳)

昨日書かせて頂いた池江璃花子さんの闘病の放送の最後の場面で彼女が語っていた言葉が良い。
「自分がアスリートとして泳ぐ姿を見て、同じように病に苦しむ人の力になれれば嬉しい」といった内容でした。
この病気になって池江さんは素敵な大人(アスリート)に成長されるのだろうなと思いました。
一流アスリートであったゆえ高成績を自他ともに期待される宿命なのかも知れませんが、何よりも彼女が泳ぐ姿は多くの人の励みになるに違いない。
さて「悩みの時」は、人生の学習をする機会だと思います。
「あの悩みがあって、今がある」と言う時が必ず来ます。
上記の聖句は、「悩みの時」が主に立ち返る機会になっているという。
「あの悩みがあって、今私は主に立ち返ることが出来た」という人が多くいます。
私もその一人です。
「今、悩みの中に置かれている人が、主の御顔を仰ぐ日が来ますように…」と祈りたい。

磯部豊喜

みことばの花 200513「悩みの時」

みことばの花 200513「悩みの時」

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33 口語訳)

キリストは言われます。「あなたがたは、この世ではなやみがある。」(ヨハネ16:33 口語訳)。
私どもの人生と悩み・・・確かにこの二つは悲しいかな堅い結びつきがあるようです。
悩みのない人生はありません。先日、池江璃花子選手の白血病に向き合う姿を見ました。
気丈と思われていた池江さんとは言え、まだ10代。厳しい治療のために体重は10キロも落ち、身体は細くなっていました。
それでも治療は成功し、命の危険から脱出した。時に弱った言葉も出ていました。
それでも今はアスリート魂も復活し体力回復の一途を歩んでいます。
悩みのどん底に落ちた人が立ち上がる時、その人は以前にもまして強くなる予感がします。
「フレ!フレ!璃花子!」と以前にも増して応援したくなりました。
今日も主も恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200512「道は開け」

みことばの花 200512「道は開け」

「その祭司は彼らに言った、『安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます』。」(士師記 18:6 口語訳)

「お先真っ暗」という言葉があります。
先を見つめ、予想を立てることは良い事ですが、これから先の人生を否定的に考える思いの傾向には勝ちたい。
先日、「みことばの花」の読者の方から一つの讃美歌が届きました。
オンラインで作ったテレワーク四重奏です。4人組の讃美歌。各自ご家庭において賛美をしたようです。

「①黒い雲が道をおおい、明るい光を消すとき、イエス様に話しすれば道は開けきれいになる。
祈れ、イエス様に祈れ今、イエス様に話せ今、お祈りを聞きたもう…主は助け守りたもう。
②目に涙があふれるとき、優しい友なるイエス様、私の悩みを取り去り、いつでも助けてくださる…」

「主は道を開いてくださる」「主はは私の悩みを取り去る」という讃美歌の歌詞。
この主の真実を受け止めて今日を過ごしたいと思います。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

*オンラインで作ったテレワーク四重奏を聞くには、どうそ次のサイトを試しにタップしてみてください。 http://www.youtube.com/watch?v=bbu7_3fIypk