みことばの花 200220「うから」

みことばの花 200220「うから」

「するとイエスは人々にむかって言われた、『神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである』。」(ルカ8:21 口語訳) 

古い讃美歌の一節に「友もうからも 我を待つらん」(日本キリスト教団1954秋出版の讃美歌489番1節)という一文があります。
「友も」はわかりますが「うから?」がわからないので、もちろん「おから」ではないと確信しつつも辞書を調べましたら
私の所有する小辞典には記載されていませんでした。
そこでネットで調べたところ、「血族」とありました。兄弟姉妹ということなのでしょう。
ところでキリストは、肉における血族以上に親密な存在があるとここで言っておられます。
それは神の御言葉で結ばれている者たちです。
教会では、お互いを兄弟姉妹で呼び合います。まさに聖書で結ばれた「うから」なのです。
この兄弟姉妹はなかなか良いものです。共に祈り合えるのですから。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200219「代表」

みことばの花 200219「代表」

「それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。」(Ⅰコリント 15:21 口語訳)

「イエスの死によって私たちが救われるというけれど、この昔の人の死がなぜそうなるのかわからない」という疑問を時々耳にします。
これは無理からぬ疑問だと思います。昔、国と国の代表となったその国のエース同士が戦って勝ったほうが勝利するという事実がありました。
かつて人類の祖先アダムが悪魔の誘惑に敗北し罪を犯した、その結果人類全体が敗北の憂き目にあっていると聖書は語ります。
実はそれと同じように、今度はキリストが来られて悪魔の誘惑にあった。
キリストの場合はこの誘惑に完全に勝利して罪を犯さなかった。
その証明が十字架の死であり復活です。
これも実は人類の代表となられた方の姿。
ですからキリストの十字架も復活も、私の代表として受け止めて良いのだと聖書は約束するのです。

磯部豊喜

みことばの花 200218「北風と南風」

みことばの花 200218「北風と南風」

「北風よ、起れ、南風よ、きたれ。わが園を吹いて、そのかおりを広く散らせ。」(雅歌 4:16 口語訳)

北風と南風がここに登場。北風は冷たく、南風は暖かい。北風と南風、どちらが私の好みでしょうか。
この冬、日本列島の日本海側は雪、太平洋側は暖冬と聞きます。
ところでこの北風と南風が人生には共に大切な気がします。
北風と太陽の童話を思う。強い北風は人からマントを奪えず、太陽に暖められた人はマントを脱ぐという話。
この童話では太陽が勝利者。
ですが、よく読むと厳しい北風があるので、太陽が際立つ。北風という人生のわき役があることで、太陽は主役になれる。
実は、北風も南風も二つで一つ。
もし、南風ばかりだと今度は暑くて耐えられない、この時は北風が心地良い。
北風、南風、共にあって私の人生の園はかおりを広く散らすのです。主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200217「友」

みことばの花 200217「友」

「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。」
(ヨハネ 15:15 口語訳)

上記はイエス・キリストがその弟子たちに言われた言葉です。
ここでキリストは弟子たちに「わたしはあなたがたを友と呼んだ」と言われます。
友というのは上下関係を取り払った言葉です。
「あの人はわたしの友である」からと言われることはとてもうれしいこと。
は人にとって目標にしている人だとか、雲の上のような存在に思える方から「あなたはわたしの友だ」と呼ばれるならばどんなにうれしいことでしょう。
さてキリストがわたしを友と呼んでくださる条件も書きとめておきたい。
あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」(ヨハネ15:14 口語訳)。
キリストに友と呼ばれる人にならせて頂きたく私は強く願うのです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200216「SDA型人間」

みことばの花 200216「SDA型人間」

「神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。
これはあなたがたの食物となるであろう。」(創世記 1:29 口語訳)

古い記事ですが内容はいまだに新しいと思えるもの。
それは、「平山さん(国立がんセンター研究所長)は、たばこを吸わず、飲酒、肉食を毎日はせず、しかも緑黄色野菜を毎日とる節制型の人たちをSDA型と呼ぶ。逆に、喫煙、飲酒、肉食を毎日続け、緑黄色野菜を毎日とらない人たちを逆SDA型と呼ぶ。
前者が後者よりも、がんはもちろん、多くの病気の死亡率において異常に低いことがわかった。みごと、といっていいほど低い」という一文。
SDAは私の所属するセブンスデー・アドベンチスト教会の略ですがこのSDA型人間とは、
上記の聖句にある食物を神様が人間に与えられたと信じ、生活の中に取り入れている者のことです。
今日も主の愛と守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200215「復活」

みことばの花 200215「復活」

「使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。」(使徒 4:33 口語訳)

キリストが十字架にかけられてお亡くなりになられたとき、
キリストの愛弟子(まなでし)たちは、ユダヤ人たちをおそれて隠れ家の戸をしっかりしめていました。
主イエスが殺害された次は自分たちではないかと考えていたからでしょう。
ところがそこに死なれたはずのキリストが入って来て「安かれ」と言われます(ヨハネ20:19参照)。
キリストは復活されたのです。
この事実を目の当たりにした弟子たちの行動は見違えるようになりました。
矢も剣も恐れなくなったのです。そしてキリスト教が全世界に宣教される原動力になりました。
今日は第七日安息日、説教題を「復活」にしました。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200214「愛情」

みことばの花 200214「愛情」

「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」
(ピリピ 2:1、2/新改訳改訂3

一昨日、「情の人ノムさん、野球とサッチーを愛した人生」という言葉を見ました。
「ノムさん」というのは、ご存じの野球選手&野球監督&野球解説者です。
残念なことに11日に84歳で人生を終えられました。
選手としては名捕手で三冠王、監督としてはID野球と野村再生工場(戦力外通告になった選手を指導し再び活躍させたのでそう例えられた)、
解説者としては緻密な野球解説者で知られていました。
私はプロ野球ではヤクルト球団びいきですので、野村監督時代は特に思い出深い。何よりも愛情深いお人柄。

上記には愛の慰め、愛情、愛の心という言葉があります。
わたしも愛情深い人になりたいと願うのです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200213「間違いのない幸福」

みことばの花 200213「間違いのない幸福」

「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」(ピリピ 2:4 口語訳)

「間違いのない幸福」という言葉を語った人に、ロシアの文豪トルストイがいます。
彼は「間違いのない幸福がただ一つある。それは他人のために生きることである。」と述べています。
近年、○○ファーストという言葉が、語られ始めて久しくなりますが、これはつまるところ自分が一番という。
自分を本当に幸せにしたいならば、他人のために生きること。
人が幸せになって、自分も幸せになれる。
人間はきっとそのように造られているのだと思います。
上記の聖句は、自分のわがままな心に常に待ったをかけてくれる尊い御言葉です。
私を真に幸福にしてくれる御言葉なのだと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜