みことばの花 191215「くちびるを閉じる」

みことばの花 191215「くちびるを閉じる」

「愚かな者も黙っているときは、知恵ある者と思われ、そのくちびるを閉じている時は、さとき者と思われる。」
(箴言17:28 口語訳)

人が一番墓穴を掘る時というのは、どういうときでしょうか。
おそらくそれは「しゃべりすぎる」ときだと思います。
「口がすべって」大臣を失職する人もいます。
人生のトラブルの多くは「言葉のやりとり」からくるようにも思われます。
さて、上記の聖句は実に興味深い言葉です。
「愚かな者も黙っているときは…」とあります。確かに語り始めると「中身のなさ」を披露してしまうことがあります。
そういう失敗をしないためにも「沈黙は金」でしょう。
ですが「知恵ある者と思われる」ために、全員が「沈黙厳守」をしたら物事は進まない。
まずは「しゃべりすぎない」を心掛けたい。

磯部豊喜

みことばの花 191214「実践の難しさ」

みことばの花 191214「実践の難しさ」

「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、…」(ルカ 4:23 口語訳) 

牧師は因果な商売だと思うことがあります。
なぜかというと人に教えることが多い。
人に教えるということは、自分自身にも教えなくてはならないのです。
これは牧師にではありませんがこんな一文を見ました。
「たばこや酒を飲んで心身も心も破壊した人が大勢医者の世話になりにくる。
自分の責任に忠実である医者は、こうした患者にその苦しみの原因をしめさなければならない。
しかし、もし医者自身が、たばこや酒を飲んでいたら、その言葉にどれだけの価値があるだろう。…」
(ミニストリーオブヒーリングp104)
言うことと行うことが一致することは大いなる目標。
今日は第七日安息日、実践の難しさを覚えつつも、牧師の働き(説教)をする者がここにいます。

磯部豊喜

みことばの花 191213「親切」 

みことばの花 191213「親切」 

「彼女は地に伏して拝し、彼に言った、『どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか』。」
(ルツ 2:10 口語訳) *筆者の補足:彼女(ルツ)、彼(ボアズ)

今私はユニークな讃美歌のCD制作に向けて走っています。
その中で曲の使用許可を得るためにいろいろな方々の助けと親切に触れることがあります。
一度もお目にかかったことがないのに、何の益もないのに、「親切」を注いでくださる方に接して感謝でいっぱいです。
上記の聖句にも「親切」という言葉があります。
モアブ生まれのルツは外国人と結婚しその夫と死別した後、姑のナオミについて行き、
ナオミの国(ユダヤ)での不安な生活を始めました。
ところでそこにボアズという農場主がおり、この人は親戚のナオミと共にいるルツに親切を施します。
「親切」という言葉は響の良い単語です。
小さな「親切」であっても、暗い世の中に光明を灯す力があるように思います。

磯部豊喜

みことばの花 191201「パンを水の上に」

みことばの花 191201「パンを水の上に」

「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」(伝道 11:1 口語訳)

リチウムイオン電池の開発によってノーベル化学賞を受賞された吉野彰さん(71)の小学生時代の恩師、
津田喜恵(83=旧姓「内藤喜恵」)さんのことを知りました。
担任の内藤先生から「ロウソクの科学」という本を薦められたことが「自分の好奇心をくすぐっていただき、
ノーベル賞につながった」とのこと。
喜恵先生は「ローソクの科学」を薦めたことは覚えていないそうですが「吉野さんご本人の資質と能力をもって勉強されたのでこの結果につながったと思います」といわれる。
上記の御言葉によれば「ローソクの科学」という一冊のパンが成長したということなのでしょう。
人に良いパンをまく者になれたら素晴らしいですね。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191211「他人の益のために」

みことばの花 191211「他人の益のために」

「だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」(Ⅰコリント10:24 口語訳)

昨夜、NHK「クローズアップ現代」でアフガニスタンに人生を捧げ、非業の死を遂げられた中村哲医師のことが放映されていました。
中村医師は「『世界平和のために戦争をする』という言葉は偽善か茶番で長続きすることはない」
「武力ではテロはなくならない」といっておられました。
また医療を行うと共に、環境を変えねばと思い、草一本もない砂漠に川の水を引く作業を行って25Km以上の用水路を完成させた結果、
そこに作物が育ったのです。
先生は「アフガンの問題は、パンと水の問題、食べることさえできれば、兵士にはならない」という。
中村医師は「他人の益のために」命を燃やされました。
このような人生に一歩でも近づきたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 191210「何を語るか」

みことばの花 191210「何を語るか」

「もしあなたが、つまらないことを言うのをやめて、貴重なことを言うならば、わたしの口のようになる。…」
(エレミヤ 15:19 口語訳)

「口はわざわいの元」とはよく聞く言葉です。
自分が何を語るか、例えばつぶやきの言葉さえ、その言葉は、人に対しても自分自身にも影響を与えます。
ある教会を建てるという建築現場での三人の「つぶやき」言葉があります。

①この仕事は、不況でこんな仕事しかないので仕方なく行っているのだ。
②この仕事は建物つくり、仕事も給料もマアマア。私の生活に必要だから。まあこれでもいいか。
③この仕事は教会を建てること。ここで多くの結婚式が行われる。多くの人が、牧師と相談ができ人を癒す場所。うれしい仕事だ。

…この3種類のつぶやき言葉、どれが一番良いでしょう。
私が発信する言葉は人を引き下げるのか、夢をもたらすのか?
つまらない言葉でなく、貴重なことを語れる者になりたい。

磯部豊喜

みことばの花 191209「死は眠り」

みことばの花 191209「死は眠り」

「すると弟子たちは言った、『主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう』。」(ヨハネ 11:12 口語訳)

イエス・キリストと弟子たちの押し問答です。
上記は弟子たちの言葉。
これより次のように続く。
「イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。」(同13節)キリストは「死は眠り」であると言われました。
私たちの認める死のそれは、永眠のようです。
しかし私は死について「永眠」という言葉は使いません。死はしばらくの眠り。
それは復活があると約束されているからです。
神のみ言葉の約束は真実、それは必ず成ります。

磯部豊喜

みことばの花 191208「やられたら、やりかえせ?」

みことばの花 191208「やられたら、やりかえせ?」

「『彼がわたしにしたように、わたしも彼にしよう、わたしは人がしたところにしたがって、その人に報いよう』と言ってはならない。」(箴言 24:29 口語訳)  

聖書の中に「目には目を、歯には歯を」という言葉があります。
その言葉があることは事実。ですがこれは間違って解釈されています。
「相手が目を傷つけるならば、相手の目を傷つけてもOK!」と。
つまり「やられたら、やりかえせ」という解釈です。
ですが聖書には上記のような言葉もあります。
そこで「目には目を、歯には歯を」の本意を探すために聖書を調べますと、
これは報復の奨励でなく、必要以上の報復をするなということと、償いの方法を教えているのです。
「相手に目を傷つけたら、相手の目だけを傷つけるに止めよ」と。
キリストは、さらに進み「善を返すことによって悪に勝ちなさい」と教えています。
相手を許す広い心を持ちたいものです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜