みことばの花 191231「大晦日」

みことばの花191231「大晦日」

「…後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、」(ピリピ3:13 口語訳)  

2019年も、本日をもって終わります。
今日は「大晦日」。
旧暦(天保暦)では毎月の最終日を晦日(みそか)と言いました。
その晦日のうち、12月の晦日を大晦日という。
晦日の(みそ)は三十を意味するそうです。
ただし月の大小が年によって変動するので、29日のこともありました。
現在の新暦(グレゴリオ暦)では12月31日。
大晦日は、一年を終える区切りの日。
明日2020年を迎えます。そこで、上記の聖句のような頭と心の切り替えをしたいと思う。
少しずつでも前進(or成長)をしたいと願う。

磯部豊喜

みことばの花 191230「良き報せ」

みことばの花 191230「良き報せ」

「望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ。」(箴言 13:12 口語訳) 

先日「(交通事故のために)父は高次脳機能障害と診断されました」というTさんの息子さんの報告を書かせて頂きましたが、
その後さらに心を傾注してTさんの完全回復を祈り続けていました。
すると一昨日のこと、Tさんの息子さんよりお電話を頂戴して「父は何事もないように記憶も歩行もしっかりとしているように見えました」との報告を頂きました。
「ああ、神様ありがとうございます!」と私の心は、飛び上がるような思いになりました。
まさに上記の御言葉のようです。
この12月は、敬愛する二名の方の告別式があり悲しいことばかりが続く中にあって、主は励ましを与えてくださいました。
今年もあと二日、主に守られた良き二日でありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191229「葬式と結婚式」

みことばの花 191229「葬式と結婚式」

「悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。
生きている者は、これを心にとめる。」(伝道 7:2 口語訳)

今年は初めてづくしの一年。
千葉県の想定外の台風災害や大雨もそうですが、私個人においても、この4月より引退牧師になり、
初の讃美歌CD制作、人生の初の賛美ライブ、目前で敬愛する人を看取ったりもしました。
そして圧巻は一昨日27日(金)に午前中に告別式、午後に結婚式の司式を行うことに…。
一日のうちに黒のネクタイが白のネクタイに替わる。
悲しみのご遺族が、喜びの家族に入れ替わったのです。
上記の御言葉には、まさに葬式と結婚式の両者が描写されているようです。
悲しみの家(例えば葬式)と宴会の家(例えば結婚式)が登場します。
結婚式はいくらあっても良い、ですが告別式はあまりしたくない…これが私の本音。
ですが人生を深く見つめる機会は前者(悲しみの家)のようです。
まさに上記の御言葉のごとく…。

磯部豊喜

聖句カード (神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3章16節 口語訳))

聖句カード (神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3章16節 口語訳))

みことばの花 191228「新月と安息日」

みことばの花 191228「新月と安息日」 

「『新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する』と/主は言われる。」(イザヤ 66:23 口語訳)

*筆者の注釈
今日は一つの区切りとなる第七日安息日です。
第七日は土曜日で、聖書ではこの日に創造主なる神を礼拝する日として書かれていますので、
私どもセブンスデー・アドベンチスト教会ではこの日に礼拝をおこないます。
そして今日は、2019年度最後の安息日です。
ところで、やがて神が造られる「新しい天と新しい地(*天国)」でなされる人々の行動が上記にあります。
「すべての人はわが前に来て礼拝する」…天国はハスの上にぷかぷか浮いて生活する空想の世界ではない。
創造者なる神、イエス・キリストを礼拝する。生きた活動が来るべき世界にもあるのです。

※2020年度の千葉教会では1月1日午前11時に元旦礼拝、1月4日には2020年最初の安息日礼拝が行われます。

磯部豊喜

みことばの花 191227「余韻」

みことばの花 191227「余韻」

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ 12:24 口語訳) 

一昨日、2回目の賛美ライブを行いました。
場所はスナック。
先日、お亡くなりになられたSさんのことを書きましたが、そのSさんの追悼クリスマスライブと命名して行ったのです。
そのSさんを慕う方々が17名集まりました。
ただ主役のSさんはいない。
プログラムではSさんの在りし日の声を流したり、多くのクリスマス讃美歌を歌い、交わりをさせて頂きました。
それにしてもSさんはいないのに、これだけの方々が集まってくださった背後には、やはりSさんの存在が大きい。
人の心にSさんの人生の余韻が残っているのです。
接する人に愛とか、優しさとか、人の心に温かな余韻を残せたら素晴らしい。
イエス・キリストはまさに「一粒の麦」としての余韻を残されたので、今でも多くの人に慕われています。
私も「あなたと出会えて良かった」という余韻を残せたらと願うのです。

磯部豊喜

みことばの花 191226「礼拝」

みことばの花 191226「礼拝」

「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、
また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。」(マタイ2:11 口語訳) 

地震の後に起こる地震(余震)ではありませんが、クリスマスを終えて、一つ付け加えたいと思いました。
クリスマスにまつわるもう一つの大切なことは、天使の声を聞いた羊飼いたちや星に導かれて東の国から博士たちが、
神の御子イエス・キリストのお誕生の姿に触れたことが聖書に書かれています。
そして彼らが行ったことは一つ。
それは「幼な子に会い、ひれ伏して拝」んだということです。
この礼拝行為があってクリスマスの物語は完結します。
礼拝とは何か。
神の御子を見上げて生活することです。
このクリスマスの心を持ちたい。

磯部豊喜

みことばの花 191225「賛美」

みことばの花 191225「賛美」

「するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
『いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように』。」(ルカ 2:13,14 口語訳) 

クリスマスの特徴の一つは、神の御子がお生まれになられた時に見られる御使い(天使)たちの賛美です。
ここに登場する「天の軍勢」とは、神のお告げを語られた御使いに加わった天使の群れのことでしょう。
天使の数は、「万の幾万倍、千の幾千倍」(黙示録5:11 口語訳)もおられるとありますので、
この賛美の大合唱は地を揺るがしたことでしょう。
天使たちは神は人となられた出来事を賛美しました。
ところで人間たちはどうでしょうか。
クリスマスにどれほどの人々が御子の降誕を祝い、賛美をささげているのでしょうか。
天使たちの賛美の心を私も持ちたいと心から願います。
神が人になられたのですから…。

磯部豊喜

みことばの花 191224「言は肉体となり」

みことばの花 191224「言は肉体となり」 *筆者の注釈

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。
それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」(ヨハネ 1:14 口語訳)

今日はクリスマスイブです。
クリスマスにちなんだ聖書のみ言葉といえば、まさに上記のみ言葉に集約できると思います。
「言」で表現されたお方は神と等しいお方イエス・キリストです。
ゆえに上記の御言葉はこうなります。
「そしてイエス・キリストは肉体となり、わたしたちのうち(*人間のうちに)宿った。わたしたちはその栄光を見た。
それは父(*天の神)のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」
神(*創造者)は人(*被造物)になられた、これは人間がロボットになったということ以上の出来事です。
この意味をかみしめて今日を過ごしたいと思います。

磯部豊喜