みことばの花 190921「人生の目的を聞く」

みことばの花 190921「人生の目的を聞く」

「はじめに神は天と地を創造された。」(創世記 1:1 口語訳)

旧新約聖書を開く人の目にまず飛び込んでくる聖句です。
これをそのまま信じるか、あるいは信じないか。
人間にとって天下分け目の選択となります。
クリスチャンでない人は、これは神話や空言だと片づけます。
しかしキリスト者は、この一句が人生の起点となります。
まず天地万物を創造されたお方がおられた。
そうすると私が今この世に存在するのは、このお方(創造者)のお陰となります。
「私の人生の目的は何ですか」と、創造者に聞く。
何でもそうですが、創造者側には被造物に対しての目的があります。
扇風機にしてもTVにしても作った者の目的がある。
しかし扇風機やTV側にはその目的は分からない。
人間も創造者に聞くことなしに、人生の目的は見いだせないと思います。
今日は第七日安息日、人類が造られた創造の記念日です。
今日も創造の神を仰ぎ、今日私は何のために生きているかと問いたいのです。
ピサバス!

磯部豊喜

みことばの花 190920「ここにはおられない」

みことばの花 190920「ここにはおられない」

「もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。
さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。」(マタイ28:6 口語訳)

死んだ後に死から生還した人を見たことがおありでしょうか。
このようなケースは、現在でも見られることがあります。
ですがその蘇った人が、その後ずっと生き続けるとなるとどうでしょう。
このような人を見つけることが難しいです。
ところで明らかに一度死んだのですが、見事に墓の壁を突き破り、死から永遠の命を持って復活した方がいます。
それが神の御子イエス・キリストでした。
上記はキリストの復活を証明する天使のみ言葉です。
キリストの復活は、キリストを信じる者にもキリストの再臨の時に同様のことが起きます。
この素晴らしい出来事をそのまま受け止められる人は幸いです。
今日も主の愛が豊かに注がれますように。

磯部豊喜

みことばの花 190919「想定外」

みことばの花 190919「想定外」

「だから、あなたがたも用意をしていなさい。
思いがけない時に人の子(=イエス・キリストのこと)が来るからである。」(マタイ24:44 口語訳)

今朝ラジオより「今日は何の日?」が流れていました。
少し興味深い内容だったので急ぎメモをとりました。
一つは「長嶋茂雄選手、幻のホームランの日」というのと、「臨時ニュースを申し上げます」の放送が最初に流された日だという。
前者は、ホームランを打った長嶋選手が一塁ベースを踏み忘れてアウトになった。
このような一選手のミスがニュースに取り上げられる長嶋さんの人気はすごいですね。
後者の「臨時ニュース」、この度、台風15号の直撃を受けました千葉県内は特に大変です。
想定外の台風ゆえ回復が遅れています。
考えてみると前者も後者も「想定外」の出来事かも知れません。
ですがこの世界には、全世界を包み込む想定外のことがすでに予告されています。
想定外を想定外にしないために大切なことは備え。つまり「用意しておくこと」。
その日がいつ来ても良いように「用意する」。
イエス・キリストを信じるという単純なこと。
これも大きな備えだと私は確信しています。

磯部豊喜

みことばの花 190918「素晴らしい交換」

みことばの花 190918「素晴らしい交換」

「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。
それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」(Ⅱコリント 5:21 口語訳)

上記の聖句は私の大好きな聖句の一つです。
ここには破格の交換の約束が語られています。
「罪を知らないかた」とは神の御子イエス・キリストのことです。
このイエス・キリストが「わたしたちの罪のために…罪とされた」とある。
さらに「わたしたちが、彼にあって神の義となる」とあります。
言い換えれば、「義をまったく持ち合わせていない」私が「神の義」を持つ者のようになるという。
「私の罪と、キリストの義を交換しよう」という。例えるならば私のゴミ屋敷と、キリストの新築家屋を交換しようというのです。
この神の申し出に応じるのが信仰です。
今日の主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190917「満ちあふれる恵み」

みことばの花 190917「満ちあふれる恵み」

「律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。
しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」(ローマ5:20 口語訳)

ここでいう律法というのは十戒を指していると思われます。
この十戒というのは、私の心の中の姿を照らしてくれる心のレントゲンとか内視鏡のようなものです。
この十戒という心の鏡の前に立つと自分の心の汚れが見事に見えてきます。罪深さが見えてきます。
自分には天国とか永遠の命とは途方もない遠いところに見えます。
ですが、この心の汚れをまったく清めてくださる神の恵みがあります。
恵みとは自分に無いものが、無償で一方的に与えられるものです。
働きはなくてももらえるものが神の恵みです。
この恵みはイエス・キリストを通して与えられる永遠の命なのです。
私のものではない永遠の命が、キリストへの信仰によって私のものとして与えられます。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190916「御子イエスの血」

みことばの花 190916「御子イエスの血」

「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(Ⅰヨハネ1:7 口語訳)

神の御子イエス・キリストの血は、他の何物よりも勝る血です。
聖書によれば彼は天地万物の創造者、神の独り子、罪なき完全なお方です。
このようなお方が、人間になって死なれた。
その最大の理由は、罪を犯してその罪のために死(永遠の滅び)に向かっている私たち一人一人の罪をきよめ、新しい命(永遠の命)を注ぎ込むためです。
「罪の支払う報酬は死である。
しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」(ローマ6:23 口語訳)。
罪は全人類を死に導きました。
御子イエスの血は、罪びとを永遠の命へと導くのです。
今日も主の愛が私の心に満ちますように。

磯部豊喜

みことばの花 190915「キリストの血」

みことばの花 190915「キリストの血」

「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。」(ヘブル 9:14 口語訳) 

十字架の上で「キリストの血」が流されました。
この出来事こそキリスト教の神髄です。
なぜ「キリストの血」が重要なのでしょう。
善人や聖天使の血ではダメなのでしょうか。
罪の本質は神に対するものです。
神の禁止事項を破る行為が罪(不法)でしたから、まったく罪を犯したことのないお方にしか罪を清める力はありません。
神は聖なる律法の制定者。
この聖なる律法の制定者ご自身が、人となって来られ十字架で死なれた。
ここに驚くべき神の愛があると言えます。

磯部豊喜