みことばの花 190629「これが安息」

みことばの花190629「これが安息」

「主はさきに彼らに言われた、『これが安息だ、疲れた者に安息を与えよ。これが休息だ』と。
しかし彼らは聞こうとはしなかった。」(イザヤ 28:12)

人の一生で心に安息がある日はどのくらいなのか…と考えることがあります。
安息というのは、辞書によれば「何の心配・苦痛もなく静かに休むこと」とあります。
「何の心配・苦痛もなく静かに休む」日は、人の一生の中でどれほどあるのでしょう。
自分や家族の健康、将来どうなるのか…等々、心配を数えるときりがないという人もあるでしょうか。
ですが主は言われます。「これが安息だ…」と。
主が私の傍にいて、常に慰めてくださると信じられる人は幸いです。
愛の神は私のすべてをご存知で最善に導いてくださると信じ受け止めて生きるのが、キリスト信仰です。
今日は聖なる第七日安息日、すべての心配を置いてまず愛の神のふところへ身を運びませんか。
教会は私の重荷を下ろすところ。
今日主の恵みに触れて、心の平安に包まれますように。

磯部豊喜

みことばの花 190628「自我とは」

みことばの花190628「自我とは」

「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マタイ 16:24)

他者から否定されてきたと感じて育ってきた人は、二色の実を結ぶ傾向があります。
一つは「自分なんかダメだ」という実。
あと一つは「自分がダメだとは人に言わせるものか」。
この両者は、実は同じ実です。どちらも自分をガードする言葉。
自己憐憫か自己主張か。自分が生きている。
ところでキリストは「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」と弟子たちに投げかけました。
「自分の十字架」と「自分を捨て」はセットで教えられています。
自分、自分、自分の主張…これが実は「自我」です。
この「自我」が十字架にかけられて死ぬならば、人は楽になれるのです。

磯部豊喜

みことばの花 190627「自我を砕く」

みことばの花190627「自我を砕く」

「イエスがベタニヤで、重い皮膚病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、
ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、
香油をイエスの頭に注ぎかけた。」(マルコ 14:3) 

上記はキリストによってその罪から救われた「ひとりの女」の行動が描かれています。
彼女は「非常に高価で純粋なナルドの香油」をキリストに注ぐことによってその感謝を表しました。
ところでこの香油は「石膏のつぼ」を壊して香りが放たれました。
人の心もこれに似ています。
心の「自我」という石膏のつぼは壊されなければならない。
これが砕かれる時に、人は良き香りをあたりに放つことができる。
主よ私の自我を砕きたまえ!

磯部豊喜

みことばの花 190626「恐れのない愛」

みことばの花190626「恐れのない愛」

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。」(Ⅰヨハネ 4:18) 

先日の新聞に一匹の捕獲された野良犬の飼い主になったTさんのことが載っていました。
Tさんが最初にこの犬を見たのは小さな森。3匹で住み着いていた。いつしか1匹になり犬はいつもしっぽを下げていた。
餌をあげようと近づいても、山に逃げ込んだ。やがてやせ細っていった。
Tさんはある日その犬が息絶える夢を見た。
<犬を保護します>と書いた看板を立てた。
警備員から連絡を受けて、保健所へ。警戒心が強くて、飼い犬には向かないと言われたが、
「なつかなくてもいい、雨風をしのがせて、おなか一杯食べさせてあげたい」と、引き取り「マロン」と命名。
2週間、ほとんど食べないでほとんど眠る。
あれから半年、今では、名前を呼ぶと、しっぽを振り、散歩にも行く。
Tさんの愛情は着実に「マロン」に届いている。…という、暖かな内容でした。
今日も主の愛がありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190625「こうもり」

みことばの花190625「こうもり」

「こうのとり、さぎの類。やつがしら、こうもり。」(申命記 14:18)

これは聖書の中にある翼を羽ばたかせて空を飛ぶ種類の一部ですが、この中に「こうもり」がいます。
実はこの二日間、我が家に「こうもり」騒動が起きました。
三日前の夜、家の中に何者かが飛び回っている。私は「つばめ」だと勘違いしました。ところが部屋中を探しても見つからない。
そこでしばらく窓を開けました。ところが翌日に何やら、また空中に動くものを発見。彼を一室に閉じ込めました。
「つばめ」を想像していましたが、何やら壁に丸くなっている物体がいる。
正体は「こうもり」。バケツをかざして捕獲に成功!新聞紙をふたにして外出させました。
鳥のように空を飛ぶにもかかわらず哺乳類である「こうもり」も神様の傑作だと思うと、創造の不思議さを感じます。
今日も良き一日でありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190624「主に信頼して善を行え」

みことばの花190624「主に信頼して善を行え」

「主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。」(詩篇37:3)

昨日「民主の女神」と呼ばれる周庭(アグネス・チョウ)さんのことを書きましたが、
彼女の勇気と正しさの出所に捕捉しておきたいことがあります。
彼女は現在「香港バプテスト大学」に在学中だとあります。
彼女がクリスチャンかどうかはわかりませんが、大学名はミッションスクールゆえ少なくとも聖書に触れていることは確かです。
細い身体で、アイドルのような可愛らしい容姿のアグネスさんですが、
強い意志をもっているのは、聖書の光に触れているからだと私は察しています。
「主に信頼して善を行え」と御言葉にあります。この御言葉を心にとめて今日を過ごしたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 190623「正しいこと」

みことばの花190623「正しいこと」

「あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。」(詩篇 37:6) 

先日、香港で中国政府に対する大きなデモが起きました。
刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」に反対するためです。
デモを行う市民たちは「雨傘」を差して抗議していましたが、この「雨傘運動」は5年前の抗議の時にも使われました。
その際に「民主の女神」として有名になった人に周庭(アグネス・チョウ)さん(22)がいます。
巨大な中国政府の圧力に屈しないアグネスさんは日本語も上手で「恐れることがないと言えばウソになる。
でも正しいことをしているという思いが自分の支えになっている」という。
今回200万人のデモに「逃亡犯条例の裁決」は無期限延期になったという。
15歳の少女のときから、熱い志をもって「正しいこと」のために立つアグネスさんの勇気に、ならいたいものです。
今週も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190622「もだし」

みことばの花190622「もだし」

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。
おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」(詩篇 37:7) 

口語訳聖書にある言葉に「もだし」という耳慣れない言葉があります。「
黙する」「口を閉じる」という意味のようです。
原語では「damam」(黙ダマ―ム?)となる。
人生が期待通りに進まないことがあるとき、「心を悩ますな」、
それよりも「主の前に黙して、耐え忍び主なる神を待ち望むのです」と著者は勧めます。
「神様は、決して私を見捨てない、必ず最善に導いてくださる」という主への信頼を勧めます。
今日は聖なる第七日安息日、すべての重荷を主のもとに携えて教会へ置いてくる日です。「
主の前にもだし」て。

磯部豊喜

みことばの花 190621「にんにく」

みことばの花190621「にんにく」

「われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも。」
(民数記 11:5)

先日、懐かしい中学校時代の担任のS先生宅に立ち寄りました。
私の用意した手土産への返礼として、納屋にあった「にんにく」を取り出し「これ持っていく?」と少しばかり分けてくださいました。
「にんにく」の臭気が嫌いな人もいますが、「にんにく」のパワーはすごい。
「恐るべき6つのパワー」があると言います。
①体力増強・疲労回復、②冷えの改善、③がん予防、④免疫力アップ、⑤美肌効果、⑥アンチエイジング(老化防止)、
聖書の中には上記の一カ所だけ「にんにく」が登場します。
「にんにく」は良いものですが、胃への刺激が強いので食べすぎには注意とのこと。
「にんにく」の長期保存には「チルド室」が良いそうです。
神様は私たちの元気のために「にんにく」も用意されたのですね。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜