みことばの花 190122「開拓者」

みことばの花190122「開拓者」

「だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」(Ⅱコリント4:16)

一昨日、平成の歌姫安室奈美恵(あむろなみえ)と大ヒット曲を書き続けた小室哲哉(こむろてつや)を取り上げた放送を見ました。
小室哲哉氏の手による作曲がヒットしていた背後に、
当時世界的な大ヒットを生んでいた人々の洋楽を彼が研修していたことが紹介されていました。
また安室奈美恵は、歌ばかりでなく繰り出す安室ファッションでも多くの若者に影響を与えていました。
20歳で結婚しその後1年間の産休宣言もファンを驚かせます。
この安室と小室の「室室コンビ」の共通点は、「開拓者」ではないかと思います。
人は年を取っていろいろなところが劣化していきます。しかし「開拓者」の精神は磨かれる。
上記のみ言葉のように「内なるものは日ごとに新しくされる」ことは私どもにとって希望の言葉。
常に「開拓者」の心だけは持ち続けたいと教えられました。

磯部豊喜

みことばの花 190121「明るみに」

みことばの花190121「明るみに」

「なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、
秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。」(マルコ 4:22)

私ごとですが、牧師に導かれる前に私は自営業(青果業)をしていました。
この仕事に亡き母は、車の助手席に座って同行してくれたことや、開業した店を守ってくれたこともあります。
この度の母の葬儀において妹より
「『お兄ちゃんが八百屋をする限り、死ぬまで手伝う覚悟をしている』と話していたよ」ということを聞きました。
私は主の導きにより、後に牧師へ転身しましたが、母にそのような覚悟があったことを知り、驚きました。
確かに母は、私が車で青果を売っているとき、
特に雨の日や嵐の日には「豊喜がこんな日にも働いていることを思い、心が痛くなる」ということを語っていました。
この度、母の思いが明るみにされたのは鈍感な私の胸を熱くさせる知らせでした。
まさに上記のみ言葉のごとくです。

磯部豊喜

みことばの花190120「家族も」

みことばの花190120「家族も」

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)

先の1月12日の早朝、私の母が92歳と10か月でしばしの眠りに入りました。
母は今から50年近く前にクリスチャンになりました。
その母の業績で一番大きなことは、家族全員をクリスチャン信仰に導いてくれたことです。
人生の道に迷って、夢も希望もなく暗い青春時代を送っていた私に、母は聖書をプレゼントしてくれましたし、
家を離れ東京に住んでいた私に講演会の案内が届きました。
これも母の手によるものと思います。
キリスト教を避けていた私でしたが、
母の聖書には上記の御言葉に沿って赤く太い線が書き込まれているのを発見し、「そうか…」と思いました。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190119「三つの安息日」

みことばの花190119「三つの安息日」

「パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、」(使徒17:2)

イエス様もその弟子たちも第七日安息日を大切にしました。それは世界創造の記念日だからです。
ところで上記はパウロの行動について書かれた一節です。
パウロと言う人は、キリスト教の教えに貢献した人だと言われますが、パウロが大切にしていたものの一つが安息日だと思います。
彼は天幕作り職人として宣教に励んだ、いわゆる自給伝道者です。
その彼が特に福音を伝えるのに励んだのは、第七日安息日だったようです。
「三つの安息日にわたり」という言葉がその事実を伝えています。
今日は、第七日安息日。
私もこの聖なる日に、声高く福音を宣べ伝えたい。「イエスはキリストである!」と…。

磯部豊喜

みことばの花 190118「益」

みことばの花190118「益」

「しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、
わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。」(ヨハネ16:7より)

昨日、「稀勢の里(きせのさと)引退」を目にしました。
「稀勢の里」は、最も愛された横綱の一人でしょう。「引退」の決意表明を前にして、多くの人が涙していました。
横綱白鵬を63連勝でストップさせた力士でした。肩を大けがしたにも関わらず、千秋楽で勝利し逆転優勝を成し遂げました。
横綱としてはとても短く、桜のように咲き散った力士でしたが、ドラマチックな横綱。
この稀勢の里の姿に、わずか3年半ほどの公生涯を終えて、天に戻られたイエス・キリストを私は思います。
キリストは「わたしが去っていくことは、あなたがたの益になる」と言われます。
他者の益を常に考えて天寿を全うする、そいういう人になりたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 190117「再会」

みことばの花190117「再会」

「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。
わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ 14:3)

今日は24年前に阪神淡路大地震の起きた日です。日の経つのはとても早いですね。
あの日の朝のテレビ画面の様子は、今も私の目に焼き付いています。
多くの涙が流されました。人は死に、そして別れる。
ですが上記の御言葉に人生の最終的な解決があります。
主イエスが再び来られる時に、再会の朝が来る。キリスト者の希望です。

磯部豊喜

みことばの花 190116「無理に」

みことばの花190116「無理に」

「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、
人々はイエスの十字架を無理に負わせた。」(マルコ 15:21)

ある人の処刑に見物人ではなく、突然に関係者になってしまう…こういう経験を積んだ人がいます。
シモンと言う人。彼はユダヤ教の大祭の一つ、過ぎ越しの祭りのためにユダヤにやってきた。
ところが一人の男が頭に茨の冠を被せられ、十字架を肩に背負い、坂道を登っていく様子をみて
「いったいどんな罪をこの男はしでかしたのだろう」と同情の眼差しで立ち止まります。
すると男は重い十字架につぶされて倒れてしまいました。
その時に、「お前、この十字架を背負え」と言われてしまいました。無理に十字架を負わせられた。
しかしなぜか、シモンは後にクリスチャンになっている。
嫌な経験、しかしそれは祝福の経験となった。
私も人生の苦みを「無理に」負わせられることがあるかも知れない。
しかしそれは祝福の道であると覚えたい。

磯部豊喜

みことばの花 190115「家族愛」

みことばの花190115「家族愛」

「見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。」(詩篇 133:1)

上記は、わたしの好きな聖句の一つです。「兄弟が和合して共におる」…ある教会在任中に教会員向けの教会新聞を発行したことがありました。
その題は「和合」。「和合」というのは分かり易くいうと、「仲良く暮らす」ということです。
これは共同体の原点だと思います。家族にしても教会にしても「互いを大切にし合う」この一点に尽きます。
そのためにはお互いの存在を「尊敬」することが肝要です。
決して上から目線で見下ろすことなく、近くにいる相手にとって何が一番、良いことなのか、親切なことなのかを考える…
そのような生き方が出来たらと思います。
「いかに麗しく楽しいことであろう」とありますが、こんな世界が天国なのでしょう。
今日も主の愛が一人一人の上にありますように。

磯部豊喜