みことばの花 181023「大失望」

みことばの花181023「大失望」

「わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。」(黙示録 10:10)

上記は、先週の安息日礼拝で私が扱った聖句でした。「小さな巻物」をダニエル書と解く。「わたしの口には蜜のように甘い」は、174年前(1844年)10月22日に結び付けて、ウイリアム・ミラー氏による米国で起こった大再臨運動とする。これは歴史的な出来事でした。ダニエル書8章14節に、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という聖書の言葉を、ミラーはキリストの再臨(再び来られること)と解釈し、一日は一年という預言計算法(民数記14:34、エゼキエル4:6)を適用し2300日を2300年としてこれを解釈します。2300年の始まりは「エルサレムの再建命令が出されたBC457年」。計算すると2300年の終わりはAD1844年となります。これを受け入れた人々は、1844年10月22日に本当にキリストの再臨を信じて待ったといいます。ですがキリストは来られませんでした。「それを食べたら、腹が苦くなった」とあるように大失望が訪れました。というわけで昨日は10月22日、ミラーの大再臨運動&大失望の記念日となりました。

磯部豊喜

みことばの花 181022「ののしられては…」

みことばの花181022「ののしられては…」

「ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。」(Ⅰコリント 4:13)

今日は都道府県魅力度ランキングの下位についても触れて置きたいと思います。魅力度ランキングの低いベスト3は、44位は同点の栃木と佐賀、46位は徳島、再下位(47位)は茨城とのこと。しかも茨城県の再下位は6年連続だそうです。ですが茨城県には、「メロン出荷日本一」「日本三名園(優れた景勝を持つ三つの庭園)の金沢兼六園、岡山後楽園に並んで、水戸市の偕楽園)」もあります。そればかりではない。茨城県の蓮(レンコン)生産量は、3位佐賀県4,990トンや2位の徳島県8,040トンを多く引き離す30,600トンが採れる断トツの一位です。ただこの蓮の出荷高の多い県は何と下位3県の共通点。蓮では魅力がないのでしょうか。当の茨城県民からは、「再下位は下から2番、3番よりもいい。かえって目立つから」などの前向きの言葉も聞かれます。この茨城県民の前向きな言葉に、なぜだか「ののしられては優しい言葉をかけている…」というパウロの美しい言葉を私は思い出しました。

磯部豊喜

聖句カード

マタイ22章37節(新共同訳)

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

 

詩篇119篇37節(口語訳)

わたしの目をほかにむけて、むなしいものを見させず、あなたの道をもって、わたしを生かしてください。

 

 

詩篇50篇15節(口語訳)

悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたし
をあがめるであろう」。

 

箴言14章2節(口語訳)

まっすぐに歩む者は主を恐れる、曲って歩む者は主を侮る。

 

箴言19章21節(口語訳)

人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。

みことばの花 181021「人を引き付けるもの」

みことばの花181021「人を引き付けるもの」

「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。」(使徒 16:25)

毎年10月頃になりますと都道府県魅力度ランキングが発表されます。2018年のランキング1位は北海道で10年連続、2位京都、3位東京、4位沖縄、5位神奈川、6位奈良、7位大坂、8位福岡、9位長野と続き、1位から9位までは昨年と同じだったようです。10位に昨年11位だった長崎が一つ順位をあげました。この順位がどうして決められるのかというと、47都道府県と国内1000の市区町村を対象に、認知度や魅力度、イメージなどを全84項目からなる「地域ブランド調査2018」によるもので、全国の消費者3万24人から有効回答を得たとのことです。この順位を見て「さもありなん」と何となく納得します。これを人間の魅力に置き換えて考えてみました。人の魅力はどこに…。さて上記のみ言葉には、獄にいながら「神に祈り、さんびを歌いつづけた」パウロとシラスに、囚人たちの耳も心も虜になりました。苦境の中でさえこのような生きかたの出きる人は、人を引き付ける何かがあるようです。

磯部豊喜

みことばの花 181020「星座」

みことばの花181020「星座」

「プレアデスおよびオリオンを造り、暗黒を朝に変じ、昼を暗くして夜となし、海の水を呼んで、地のおもてに注がれる者、その名は主という。」(アモス 5:8)

天体少年と呼ばれるほどではないものの、私は宇宙のことは比較的好きです。昨日の新聞に、こんな小見出しの一文がありました。「『ゴジラ座』NASA認定」。内容はこうです。「米航空宇宙局(NASA)は18日、天体観測衛星『フェルミ』で見つけたガンマ線を出す星で、怪獣『ゴジラ』や『富士山』など、21の新たな星座を認定したと発表した。国際天文学連合が認定する『オリオン座』などの公式な88の星座とは別物。フェルミは、肉眼で見えないガンマ線をとらえる。…」(朝日新聞10 月19日版)とありました。この中に「オリオン座」とありますが、「オリオン」という星座の呼び名は、3500年前にすでに聖書の中に書かれています。今日は、第七日安息日。天地創造の記念日です。昔からあった「オリオン座」も18日に認定された「ゴジラ座」も、世界のはじめからあったのでしょう。人間は創造されたものを徐々に発見するのですが、その背後にいます方も発見して欲しいと私は願うのです。ハッピー、サバス!

磯部豊喜

みことばの花 181019「天に宝を蓄える(2)」

みことばの花181019「天に宝を蓄える(2)」

「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい」(マタイ 6:20)。

「天に宝を蓄える」生き方とはどのようなことでしょう。考えてみませんか?…という言葉で昨日の「みことばの花」を閉じました。上記のみ言葉をよく吟味しますと、「むしろ自分のため」という言葉が冒頭に。天の宝を手に入れるのは、「わたしのため」ということなのでしょう。「人はどんなに財産を持っていても、最期は1畳程度の空間しか手に入らない」と言われます。これは棺の大きさを指しています。しかしこの棺さえも、火に焼かれて消えてしまいます。ですが天に蓄える宝は不滅だと言う。神様が守ってくださるからです。火も洪水も滅ぼすことの出来ない宝とは何でしょうか。それは「品性」でしょう。どのような信仰や希望や愛を持つのか。これが大切な気がします。「キリストの恵みによって人の心の中に、天のことを思わせる言葉や行い、またキリストのような品性を築こうとつとめるあらゆる努力などが宝を天の積むのです」(「思いわずらってはいけません」p117)という言葉は、銘記(めいき)しておきたい一文です。

磯部豊喜

みことばの花 181018「天に宝を蓄える」

みことばの花181018「天に宝を蓄える」

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。」(マタイ 6:19)

「積水ハウス巨額被害、『地面師』グループ逮捕」という事件が起きました。積水ハウス(大阪市)が東京品川区の土地購入代金を、地主に成り済ました「地面師」グループら数十人のうち、羽毛田正美容疑者(63)と不動産会社の実質経営者生田剛容疑者(46)ら男女数人が逮捕されました。その被害額がなんと55億円だといいますから、まれにみる巨額搾取事件です。事件は昨年3~6月のことですので、騙し取られた55億円がどこへいったのか、警視庁は「地面師グループのお金の流れを調べている」とのことです。お金が積水ハウス側に無事に戻るといいのですが…。この事件を知って、上句のキリストのみ言葉を思い出しました。悲しいかな「盗人」らの出現は後を絶たない。この続きのみ言葉にも心を留めたい。「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい」(マタイ6:20)。「天に宝を蓄える」生き方とはどのようなことでしょう。考えてみませんか?

磯部豊喜

みことばの花 181017「隠す」

みことばの花181017「隠す」

「彼は答えた、『園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです』。」(創世記 3:10)

上記の聖句は、「主なる神は人に呼びかけて言われた、『あなたはどこにいるのか』(創世記 3:9)と呼びかけられた時の、人(アダム)の返答です。神様のいいつけに反すること(神様に禁じられた善悪を知る木の実を食べる行為)をしてしまった人の心を襲ったのは「恐れ」でした。そしてもう一つのことは、「隠れる」行為。世界最初の「隠れん坊」がここに描かれています。しかしゲームでの「隠れん坊」とは意味がまったく違っていました。ここにあるのは「恥の文化」。昔から日本人は、「そんなことをしたらお父さんやお母さんが恥ずかしいでしょう」と言って、子どもに、恥の文化を摺(す)りこんで来たような気がします。昨日紹介した英国のユージェニー王女とは大違いです。「見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。」(黙示録16:15)というみ言葉がありますが、私の恥を覆う神様に信頼し「恥じの文化」を乗り越えていけると良いですね。

 

磯部豊喜

みことばの花 181016「傷の後」

みことばの花181016「傷の後」

「…トマスは彼らに言った、『わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない』」(ヨハネ 20:25)

昨日、イギリス王室のユージェニー王女とジャック・ブルックスバンク氏との結婚式が行なわれたことが報道されていました。はじめはボンヤリと聞き流していましたが、この度の結婚式には一つの特徴があったことに注目。それはユージェニー王女のウエディングドレスの着こなしです。ベールもつけずに背中の開いたウエディングドレス姿。王女はあえて背中を見えるように着ていた。その理由は、幼いときに傷ついた数十センチもする手術痕(しゅじゅつこん)が背中に残っていたのですが、その傷の姿を公表することでした。多くの人々の目にそれが止まり、その勇気が称賛されたという。人は自分の傷の部分を隠したがるものですが、この王女は、この姿でメッセージを送ったのです。傷があってもいいじゃない、これが私なのだから…と。ところでキリストも傷を受けられたお方でした。その傷は復活後にもそのまま残っていたことを聖書は書いています。この傷の痕(あと)は人類救済(永遠の死から永遠の命へ)の道を開いた記念碑であることはいうまでもありません。

磯部豊喜