みことばの花 80807「舵」

みことばの花180807「舵」

「また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。」(ヤコブ 3:4)

私どもの人生というものは、先頭に立つ人の影響がいかに大きいかを実感します。いよいよ全国高校野球の100回記念大会が始まりましたが、この世界にも監督の生き方やゲームの舵取り次第で勝敗の有無が決定される場面が実に多い気がします。選手同士の実力が伯仲している場合は特に監督の手腕は大きい。いえ多少の実力差がある場合でも、舵取り次第で弱小チームが強豪チームに勝つことさえあります。今回、下克上とか言われて注目されている高校があります。白山(はくさん)高校です。チャンスがあれば、選手たちもそうであるが、まずどんな監督なのか見てみたい。ところで人生の小さな舵(かじ)は、私という個人にも当てはまります。それは私自身の舵取り。それは「心」。私という人間は私の心で運転されている。私と言う人間が神様に祝福されるか否かも、この心次第なのであろう。「キリストの心を心とせよ」というのは、私という人間の舵取りをキリストにゆだねよということ。一生の課題かもしれませんが、こういう舵取りが出来たならば幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 180806「夾竹桃(きょうちくとう)」

みことばの花180806「夾竹桃(きょうちくとう)」

「モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。」(民数記 21:9)

一昨日土曜日、私の担当することになった袖ヶ浦教会へ行きました。その教会に赤と白の花が置かれていました。その花の名は「夾竹桃(きょうちくとう)」。この花はあの広島の原爆の後にも生き抜いて最初に花を咲かせたという。この花を調べてみました。たしかに「排気ガスなど公害に強い花」だと書かれていました。この花の原産地はインド。しかし強い毒性があることに由来して、「油断大敵」「危険な愛」「用心」という花言葉もあるとのことです。しかしこの漢字を良く見ると「夾竹桃」の「夾」は、十字架のキリストが描かれた文字に見える。十字架を中心に人が三人磔付けられています。そういえばキリストは上記のみ言葉にあるように、ご自身は全く清らかで罪なきお方でしたのに、青銅のへびに代表されるお方として人の罪を背負って死なれました。人の罪(死に至る病)を背負ってのろいを受けて死なれた。そして夾竹桃のように復活し、命の花を咲かせました。このキリストを信仰をもって仰いで見上げる人は、死から命へ移ることができるのです。確実な約束です。

磯部豊喜

みことばの花 180805「ロートルⅡ」

みことばの花180805「ロートルⅡ」

「『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。」(使徒 2:17)

昨日の続きです。PFCキャンプで見た夢、それは5つほど。一つは、「ダニ」の夢。このダニは夢の中でどんなにつぶそうとしても頑丈で生きているのです。二つは足の先に「タワシ」が足の裏に触るのです。蹴ってみたくなりましたが、ストップして起きました。するとなんと反対側に寝ていた若者が180度向きを変え、頭をこちらへ向けて眠っていた。ああ、蹴飛ばさなくて良かった。三つ目の夢は、講演会の準備中の夢。あと30分しかないというのに買い物に行った。そして帰ろうと車に戻ると、何と車はありましたが中のシートがごっそり誰かに盗まれている。椅子なし車でも運転して会場に戻る途中で目覚めた。四つ目は、人の庭に入って、小水をばら撒く自分の姿。だれもいないと思っていたら、目の前の道路に人影が。急いで途中で止めた。目を覚ましてトイレに直行。夢を見る人を聖書は老人(ロートル)のしるしという。しかし唯一、まともな夢もありました。それはイエス・キリストの再臨の夢。キリストの再臨の日に、人は死から甦り、永遠の世界に招かれるのです。これは確かな確かな夢でした。

 

磯部豊喜

みことばの花 180804「ロートル」

みことばの花180804「ロートル」

「『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。」(使徒 2:17)

7月30日~8月3日までの5日間、私の管轄下にある九十九里教会の子供たちを引率して、全国PFCキャンポリー(教会内での子供育成クラブ)に参加して来ました。今回の参加者(約130人)の中で高齢者の順でいくと、私はどうやら6番目。プログラムの中で登山があり、これに参加した人の中では3番目。かつてロートルという言葉が流行りましたが、そのグループの中で年長の人を指しているとばかり思っていましたが、調べますとこの言葉は中国語で「老人」を指すとのこと。気持ちは万年青年。ですが引退会見の故千代の富士関ではありませんが、今回登山をしてつくづく「体力の限界!」を悟らされました。ついでに期間中、見ているものは「夢」ばかり。そういえば聖書に「老人たちは夢を見る」とあります。やはり正真正銘のロートルなのか。しかし「わたしの霊をすべての人に注ごう」との約束もある。ここに希望を持って、今日の聖なる第七日安息日を過ごしたいと思います。ハッピーサバス!

磯部豊喜