みことばの花 180620「与える」

みことばの花180620「与える」

「見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。」(列王㊤ 3:12)

天の神様の特技は何か?を考えました。その一つは「与える」こと。神は天地創造の時、多くの食物を人や動物に与えられました。ソロモン王には「賢い、英明な心を与える」と約束。ところで中本博雄(なかもとひろお)氏のことを知りました。この方の愛車は軽自動車、自宅は築45年。しかし資産は努力して数億に。この数億の中の5億もの財産を、九州大学の奨学金として寄付したいう。「無駄なお金を使うなら人にあげたほうが生きる。財産ゼロという死に方をしたい」と言ってはばからないのです。この方は、若い日に科学や数学が好きで九州大学への進学を高校の担任に勧められた。しかし貧しかった父は首を縦に振らなかったために、ご自身は九州大学には行けなかった。しかし独学で、ある特許製品を作ったが特許料は取らない。そして会社を創業し資産家に。「苦労してためたお金ですが、貧しくても勉学したい人が使えば何十年か後に生きると思う」という。こういう素敵な生き方に感動しました。

磯部豊喜

みことの花 180619「記憶」

みことの花180619「記憶」

「あなたがたがエジプトから出てきたとき、道であなたの神、主がミリアムにされたことを記憶しなければならない。」(申命記 24:9)

人は敗北や失敗の体験を記憶することは、明日の勝利や成功に向かって大切な気がします。徳川幕府を開いた徳川家康は、若き日に三方ヶ原での武田信玄との戦いで惨敗し、命からがら浜松城に戻った時、実に惨めな敗戦の将の姿を絵師に書いてもらったという。6月17日、レスリング全日本選抜選手権で女子50㌔級で須崎優衣選手(早大)が、優勝しました。決勝で当たった相手は、過去に2度決勝と準決勝で敗北を喫した入江選手でした。自宅に入江選手に2度敗れた時の2,3位の賞状が重ねて貼ってあるといいます。屈辱を忘れないために…。敗北とか失敗は、次のステップへ進む力になる場合があります。さて上記の聖句は、モーセの姉のミリアムが高ぶってしまった時に罪の病と言われた重い皮膚病になってしまった時のことを、記憶するようにというメッセージです。二度と同じような過ちを犯さないために…。失敗体験を忘れない人になりたいものです。明日の勝利のために。

磯部豊喜

みことばの花 180618「足は…」

みことばの花180618「足は…」

「この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。」(申命記 8:4)

今日は足を鍛える話です。サインズ誌7月号の特別記事に「スクワットで体も心の若返る!」という題で、順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏が、ものぐさな私でも出来る健康の提案を書いてくださっていました。スクワットをすると、足腰が丈夫になり、免疫力は上がり、認知症の予防にもなる、心も前向きになる…などと利点があげられていました。スクワットとは、両足を開いて、背を延ばしつつ、ゆっくりと(1,2,3,4と数えて)膝を90度あたりまで曲げて延ばすだけの運動。意識を太ももに集中させ、腰は曲げない。手を頭の後ろに組むと良い。食前や入浴前に行なうとさらに良いらしい。毎日朝晩10回程度ですから1~2分もあればすぐ終ります。これはいいですね。イスラエルの人々は昔、荒れ野を歩き回っていました。ですが足は、はれなかった。これは浮腫(むく)まなかったということでしょうか。彼らもスクワット体操をしていたのかも?…。どうぞ試してみてください。良い事はすぐにしたくなる私なのです。主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180617「健康」

みことばの花180617「健康」

「見よ、わたしは健康と、いやしとを、ここにもたらして人々をいやし、豊かな繁栄と安全とを彼らに示す。」(エレミヤ 33:6)

講演会などで人生の関心度アンケートを取りますと、①健康、②老後、③人間関係、④教育(子育て)、⑤宗教(人生)といった順番になる場合が多いです。断トツで関心が深いのは何といっても健康です。今月のサインズ誌7月号は、「健康」が取り上げられていました。そのサインズの巻頭言を紹介しましょう。「規則正しい生活は、人に健康と富、そして賢明さを与えてくれる」(ベンジャミン。フランクリン)。確かに健康の鍵は、規則正しい生活かも知れないと思います。一番良いのは早寝早起き。これが私が今一番苦手な一日のサイクル。心に留めたいと思いました。次ぎに「人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである」(武者小路実篤)。この言葉もう~んと感じ入るものがあります。私にとって人生の目的は、神様を知ることですが、これも健康を損ねてしまうと、そのような思いが弱くなります。サインズには続いて「スクワットで体も心も若返る!」というなかなかいい記事が載っていました。明日はそのポイントを紹介しましょう。私も始めました、スクワット!

磯部豊喜

みことばの花 180616「魂をみ手に」

みことばの花180616「魂をみ手に」

「わ616「魂をみ手に」たしは、わが魂をみ手にゆだねます。主、まことの神よ、あなたはわたしをあがなわれました。」(詩篇 31:5)

先週の安息日のことです。この「みことばの花」を配信させていただいている一人、私の愛すべき主にある兄弟(Yさん)がしばらくの眠りに就かれました。Yさんは、とても優秀な学歴、職歴をお持ちの方でしたが、そんなことを全く出さない謙遜な方でした。この方のおられる教会の若者たちは、Yさんご夫妻をとても慕っておられたことを、告別式の中から教えていただきました。このYさんの最期の日(6月9日の安息日)、体調が少し思わしくなかったようで自宅で集会に。この日の朝、奥様と共にわたしの配信する「みことばの花180609平和の絆」を読み、共に祈って安息日の朝をスタート。そしてインターネット放送の礼拝に参加し、その数時間後に眠りに就かれたとのこと。何と見事な最期でしょうか。Yさんの最期に相応しい聖句を探しました。上記の聖句が、私の目に留まりました。まさに人生を主にゆだね切ったYさんではなかったかと思います。またお会いできる朝を楽しみにしています。主の慰めがYさんご家族の皆様に上にありますように。ハッピ、サバス!

磯部豊喜

みことばの花 180615「みごと」

みことばの花180615「みごと」

「これが枝を出し、実を結び、みごとなぶどうの木となるために、わしはこれを植えた苗床から水の多い良い地に移し植えた。」(エゼキエル 17:8)

天の神様が私どもに期待していることがあるようです。それは私と言う人生のぶどうの木が、「枝を出し、実を結び、みごとなぶどうの木となる」ということです。良い地に移植して、それを願う神様の心があります。私と言うぶどうの木の置かれた環境は、私をどのように成長させてくれるでしょうか。良い地だと思える所でつまづく人があるとおもえば、反対にいやな環境だと思えるところで成長する人もいます。そう考えると、結局、成長の鍵とは人の置かれた場所というよりも、その場所で「いかに咲くか」ということなのでしょうか。「置かれた場所で咲きなさい」と語ったのは、故渡辺和子氏でしたか。しかしどうしても耐えられない時は、つぶされそうな時は、「環境も変えてください」と祈っても良いでしょう。ですが多くの場合、いやな環境を忍耐を持って過ごす時に、人は「みごと」な成長を遂げるような気がします。ところで上記の聖句は、神様に期待され良い環境に置かれたにもかかわらず、枯れてしまう者たちの姿を描いています。人生とは不思議なものです。今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花180614 「雨の日にも歌う鳥」

みことばの花180614「雨の日にも歌う鳥」

「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。」(詩篇 34:1)

雨の日に歌う鳥はあまりいません。ところが「駒鳥」という鳥は雨の日でも歌うといいます。ある詩人はこの駒鳥を指して「駒鳥だけは雨の中でも歌ってくれる。我々も歌おう」という言葉を残しています。人生の嵐の雨を前にして歌えるでしょうか。しかしここは駒鳥をならいたいと思います。上記の聖句には「常に」「絶えない」という言葉をもって、「主をほめまつる」「さんびはわたしの口に」を彩(いろど)っています。どんな時にも、賛美する心を持つことは感情的には難しいことでしょう。ですが、それでも賛美をしたい。涙を流しつつも賛美したい。そのとき、きっと心は晴れるに違いない。今日も「神様を賛美する」ために「雨の中でも歌うために」、私の人生があることを心に刻んで過ごしたいと思います。人知を超えた主の愛が今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180613「平和の神」

みことばの花180613「平和の神」

「最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。」(Ⅱコリント13:11)

「そうすれば、平和の神があなたがたと共にいて下さる」という一文が、書かれています。「そうすれば…」というのは、これこれの条件の下で、こういうことになる…という言葉です。「平和の神」が好まれるところがあります。それは「いつも喜ぶ人」「全き者」「互いに励まし合う人々」「思いを一つにする人々」。こういう人(人々)のところへは「平和の神」が共におられるという。ところで「いつも喜ぶ人」「全き者」「互いに励まし合う人々」「思いを一つにする人々」などというと、とても難しく聞こえます。ですが「極力」とか「意識して」とか、あるいは「目指す」…という修飾語を前に添えて読むと分かりやすい。「極力、いつも喜ぶ人」「全き者を目指す人」「極力、励まし合う人々」「意識して、思いを一つにする人々」とするならば、高いハードルと思える内容もが少し低くなると思います。「平和の神」が自分のそばにいてくださる者に一歩でも近づけたら幸いです。主の恵みが今日もご家族の上にありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180612「立ち帰るために」

みことばの花180612「立ち帰るために」

「後の日になって、あなたがなやみにあい、これらのすべての事が、あなたに臨むとき、もしあなたの神、主に立ち帰ってその声に聞きしたがうならば、」(申命記 4:30)

おそらく多くの宗教は、苦しみや悲しみ、病気やすべての不幸に思えることは、生前から定まった因縁(いんねん)だからあきらめよ…と教えていると思います。ところがキリスト教は聖書の言葉を通して、苦難や試練、病とか死は、神から離れた結果であると共に、神様はそれらを通して人間本来の立ち位置に戻るように教えます。人間本来の立ち位置とは、神様と向きあって歩む生活です。上記の聖句にも「なやみ」とか「すべての事(歓迎したくない事)」は、「あなたの神、主に立ち帰る」という機会が開かれることを伝えています。悲しみや苦しみなどは皆罪の結果であるけれども、反対にそういうものを通して神は、もう一度神に立ち帰る道を用意しておられるというのです。続く聖句には「あなたの神、主はいつくしみの深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、またあなたの先祖に誓った契約を忘れられないであろう。」との約束があります。悩みとか苦しみの「るつぼ」の中にも、主の優しい御顔(みかお)がある。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

※「るつぼ」=金属をとかすのにつかう壷